文章を書くことなしに人は思索を推し進めることは出来ない。
書くから自分にも分かる。

「694」の後半は、駄文を連ねた末の一つの結論。

モーツァルトは「材料」にすぬ。あれやこれやの文章も思索を推し進めるためのあくまでも仮説である。

その点から言えば、ベートーヴェンの音楽ですら「無明」の域を出ていない。ワグナーに到っては何をか云わんやである。

ギリシャを知るには、まず何を置いても「パイドロス」であろう。


『矛盾がないとは、感情の満足である』
『解るとは、解らないと思うことである』
あのとき、『モーツァルトの音楽は鳴らなかった』


「得心した」事は、そう多くはない。