モーツァルトの生涯(生い立ち・エピソード・伝記)
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0083名無しの笛の踊り
2010/04/01(木) 05:20:35ID:OT0ShedOなかにはこんな微笑ましいエピソードも…
1770年4月フィレンツェで、当時有名だった女流宮廷詩人モレッリ・フェルナンデスを訪れた際、
トーマス・リンリというイギリスの少年と知り合う。彼はモーツァルトと同様、著名な作曲家の父
に教育を受け、8歳でデビューし「神童」と言われていたヴァイオリニストだった。モーツァルトは
同い年(14歳)の彼と意気投合し、フィレンツェを出発するまでの数日間、二人でヴァイオリンを
弾いて興じ合った。レオポルトは、2人が「しょっちゅうお互いに抱擁を交わしながら、一晩中交代
で演奏していた」こと、そしてリンリがモーツァルト親子の出発の日に何度も別れを惜しみモレッリ・
フェルナンデス作の一遍の詩を送ってくれたことを書き記している。
しかし2人はこの後2度と会うことはなく、リンリはこのわずか8年後に世を去ってしまう。
21歳のモーツァルトが父の故郷アウクスブルクで会った〈ベーズレ〉(=従妹ちゃん)はもしかすると
友達以上の仲だったかもしれない?! レオポルトの弟フランツ・アーロインスの一人娘マリーア・アンナ・
テークラ(1758〜1841)はさっぱりした気性の持ち主で、従兄弟があけすけな冗談たっぷりな手紙を
送ってきても、いっこうに動じていない。いわゆる一連の〈ベーズレ書簡〉である。
アロイジアに失恋したモーツァルトを慰めたのは他ならぬ彼女であった。
彼女は1784年にヨゼーファという名の私生児を生んだが、父親は高位聖職者といわれている。
1814年に娘の結婚にともなってバイロイトに移り、83歳で亡くなった。
ウィーン時代にはホルン奏者のロイトゲープなどは、24歳も年長ながらモーツァルトの格好のからかい相手
だったようだ。ホルン協奏曲第2番 K.417の自筆譜には「ロバ、牝牛、間抜けのらイトゲープを憐れんで」
との献呈の辞が添えられている。また第4番 K.495では赤、青、緑、黒と4色のインクで楽譜を書いている。
第1番(4曲の作曲順は2→4→3→1とされる)の草稿には「ロバさん、勇気を出して―急いで―つづけて
(……)―愚か者―おお、何たる調子っぱずれ―ああ!―悲しいかな―やったぞ、あわれな奴め!」
といった書き込みが見られる。
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