>>468
フルヴェンはチェリの音楽的才能については高く評価していた。
だが、チェリの口の悪さ(ベルリン・フィルやドイツ音楽界への罵詈雑言、
客演指揮者や招聘ソリスト選定への過度な干渉等々)
にいつも悩まされオケ側とチェリの間に入って調整させられ辟易していた。

フルヴェンがベルリン・フィルの音楽監督に復帰した1952年あたりから
すでに両者の間には大きな溝ができ埋めがたいものとなる。

1953年トリノのコンサート前にチェリがフルヴェンを訪ねたのが最後。
当時難聴に悩んでたフルヴェンは終演後に演奏の出来をチェリに
訊きたかったのだが、チェリは姿を現すことなくその後両者の交流は消滅。

(ちなみにフルヴェンはヒンデミット事件などの影響から1934年に
ベルリン・フィルの音楽監督を辞職している。
約半年後に「客演指揮者」として指揮台に復帰。
御承知の通りチェリは正式な首席指揮者ではなくいわゆる「代行」だった)。

当時の団員、オーレル・ニコレによるとチェリビダッケはオケを解体し
自分の思うように作り変えたがった。
また、自分がフルヴェンの後継者に指名するなら高齢で役立たずの楽員と
自分の練習にいちゃもん言う団員を解雇できる権限をくれとオケに要求。