絵画に一発屋はいません。セザンヌに似てるか似てないかよりも、セザンヌが書いた、ということが価値を決めます。
名前が売れることと作品の価値は相関します。
見る方がセザンヌであることを意識しながら見るのです。ヨーロッパ文化そのものです。
もしセザンヌがアジア人だったら、見る方の解釈は変わるのです。
言葉も同じです。
菅直人の話を聞くときは、菅直人の思想や人格を想像しながら聞いているのです。
それまでの言動や行いが、言葉に影響を与えます。

音楽に一発屋が存在するのは、たまたま素晴らしい作品、というのがあるからです。
POPSでも同様のことが起きます。たまたまコードがはまって新しい場合、無名人が傑作を生むことがあります。
聞き手はそこに人物を見ません。人格と独立なのです。