『美しき水車小屋の娘』 ボストリッジ、内田光子
ひのき饅頭 | 愛媛県 | 不明 | 2010年05月01日
音楽とは本当に残酷だ。「歌曲を聴く人が減っている。CDも全く売れな
い。コンサートには人が来ない。」某本に記述されていたが、全く当たり前
だ。ところで歌曲の出来を決定的に左右するものは何だと思いますか?歌手
も大切なのですが、それ以上に決定的に重要なのが「伴奏」です。声楽の
「伴奏」は相当に難しい。実はピアニストとして必要な全ての能力が要求さ
れるのが「伴奏」の世界だ。才能豊かで努力し、相手軸の状況対応型でなけ
れば、芸術としての伴奏は成立しない。自分軸の目標志向型では駄目だ。さ
らにシューベルトは独自の時間軸を持つ作曲家で、その特有の「時間」を表
現できない演奏家は駄目だ。表現できても、自己流の時間しか操作できな
い、例えばアンスネス(彼の時間は常に遅れる)やチェリ(彼は時間を解体
するだけ)のような演奏家では論外だ。残酷な指摘だが、この領域は訓練な
どでは決して身に付かない、冷酷なまでの天性の世界だ。時間の表現ができ
ないピアニストのシューベルトを私が評価することは在り得ない。申し訳な
い。ボストリッジは繊細で美声。彼がドレイクと組んだ演奏は本当に凄かっ
た。世界中で高く評価されたが、確かにボストリッジは良い。しかし、それ
以上にジュリアス・ドレイクの天才が圧倒的だった。メーカーが「売ろう」
と画策して、ボストリッジと名前だけのスターピアニストと組ませたのは本
当にまずかった。メディアという虚構の世界では一流でも、現実にはそうで
はなく、彼らのレベルを白日の元に晒す結果に終始した。これでは最近の
「歌曲」の現状が見捨てられても仕方が無い。ところで声楽の凄さを知りた
ければ、まず伴奏者で選ぶことを薦める。しかしジェラルド・ムーア、クリ
ストフ・エッシェンバッハ、ジュリアス・ドレイク級の「超」がつく伴奏者
は滅多にいない。歌手が駄目な伴奏者と組むことは良くあるのだが、優れた
伴奏者が駄目な歌手と組むことは何故か見つけにくい。それほど優れた伴奏
者は数が少ないのだろう。

よそでやってください