中川昭一元財務相に捧げるクラシック
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0378名無しの笛の踊り
2010/10/24(日) 17:40:53ID:ajSTCiSv・農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。
・財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。
・政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。
・拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。
・経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。
・毎年靖国神社に参拝することも欠かさなかった。
・非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。
・日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判していた。
・官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。
・中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。
・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。
・郵政解散後の造反組リーダーであった平沼赳夫とは銀行員時代から兄弟のような間柄で、郵政民営化には賛成ながらも、造反組には半ば同情的だった。
・政界きっての親台派として知られていた。農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられていた。辞任についても、台湾メディアは同情的であった。
・2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたってのまとめ役となった。
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