音楽家(所謂、音楽の専門家)は愚かなもんじゃきに。

ホロヴィッツの月光・1楽章/CDでは「右手0:33〜34秒の二分音符」を「ふっ」と息を抜き「p」で弾くでしょ、理由、説明できます?
私には解る、私もそうしたいからです。なぜそうしたいか?それは私の「心」がその音を求めているからです。
なぜ求めるのか?私の美意識がそうさせるのです。
ピリスのショパン・ノクターン20番でも中間部の最終音は「消え入りそうなp」です。アシュケナージも、アラウも、フジコ・ヘミングも、そのデリカシィーがありません。
あそこは「p」でなければいけない。私の美意識がそれを求める。

「p」ではありませんが、トスカニーニのモーツァルト/シンフォニー39番・1楽章の第一音、ジュピター終楽章、カザルスの40番、シューリヒトのプラハ、理由は異なりますが、あの演奏でなければならない。

挙げれば切りがないですきに。

そして楽譜ではなく「心」に行き着く。いつかも述べたように、「初めから無いものは、どう分析しようが出てこない」からです。
具体的な曲、演奏を挙げるのは控えますが、この人はモーツァルトが解っているのか?と思えるCDも数多い。専門家ですから楽譜との対話、分析、その結果の実演であり、録音でしょう。
それが噴飯ものなんですね。

坂本さーも、中岡さーも、明日は大仕事でごわんそ。

薩摩と長州が手を結べば幕府ちゅーて勝てるきに、西郷さんじゃて分かってるぜよ。このままではいかん、いかんぜよ。