前スレに引き続いて。コラールやれっていうのは、結局それの基づく旋律が古い民謡や
場合によってはグレゴリオ聖歌由来のものだったりするんだけど、
そういう原始的なところに旋律の真髄みたいなのがすっきりしたかたちで
見えるからだと思う。メシアンの言ってることも多分そんなところか。

対位法を見るにしても、定旋律ミサやモテットとなれば当然これと同じ文脈に
なってくるし、そうでないものでもやっぱりその流れは汲んでる。

鍵になるのは器楽じゃなくて歌なんだよな。