エッケルマンの『ゲーテとの対話』を待つまでもなく、ベートーヴェンという存在が音楽史においていかに大事件であったかは、素人の浅知恵でも予想できる事です。
畢竟、「音を語るのは音しかない』という自明な事が「音が思想や情感を表現する手段」にとって変わったということでしょう。
その為にはベートーヴェンという大手腕が必要であった。
ベートーヴェンは自分で蒔いた種は自分で刈り取った訳ですが、それがどれほどの孤独へと彼を追いやったか?後期弦楽四重奏曲やピアノソナタはその証ではないだろうか。
ある意味、それはベートーヴェンにとっては作曲家としての危機であった訳で、「悲愴ソナタ」や「英雄シンフォニー」はモーツァルトという呪縛から解放され、彼が自分の進むべき道を示し得た最高の証に思われてならない。
ベートーヴェンを襲った危機がショパンをも襲った、と言えないはずはない。
シューマンの発狂という事実がそれを証明しているように思えてならない。

音楽史はまさに中二レヴェルの知識しか持ち合わせていませんが、その他数多の作曲家達はベートーヴェンが切り開いた荒野を開拓してゆけば済んだのではなかろうか?

ニーチェがワグナーを攻撃したのは周知の事実だが、ベートーヴェンが孤独を代償に自ら刈り取った種は、どうやら音楽という荒野にすでにばらまかれていたようである。

ベートーヴェンの初期の諸作品から聴きはじめるしかなさそうだ、そんな気がしてきました。

「影響」も解釈と同様、「在っても誤解され、無くても不便」な言葉の一つだと思ってますが、モーツァルトという『完璧な音楽』から如何に脱したのか?どこまで「影響」の元にあったのか?

色々な事が見えてきそうな気もするし、元の杢阿弥(爾)になるかもしれません。