38氏にお答えします。
すでに何度か似た事を書きましたが…

『どうして同じ楽譜なのに、こうも違う音楽になるのか?』が、私の疑念の出発点です。

「ブル8のクナとヴァント(改訂版とかに関係なく)」しかり。「K.550のパウムガルトナーとトスカニーニ」しかり。
前者、私の場合、ヴァントは音響にすぎません。理由はこのスレッドで前に述べました。

後者は、私は両者ともその演奏が好きです。
パウムガルトナーは1楽章、ゆっくりとしたテンポで哀愁に満ちていますし、
トスカニーニは39番41番には劣りますが、1楽章のコーダ、第2Vn(と思しき)あの美しい旋律(なぜ他の指揮者はもっと強めに旋律を奏でないのか不思議)をしっかりと奏でてくれます。

どなたかに、楽譜に書かれてない情報をどれだけ拾えるか?と言う趣旨のお答えを戴きましたが、テンポ、音の強弱、旋律は楽譜指定ですよね。それが奏者で異なる。
なら、楽譜とはどれほどの意味があるのか?家に例えると「大体の設計図と必要な材料」にすぎないのではないか?
同じ設計図と材料でも陳腐な家にもなれば、瀟洒な家にもなる。

ともかく「クナとヴァントのブル8.4楽章」を聴き比べれば、一目瞭然。

(私には)片や永久保存盤、片や廃棄処分盤です。
同じ楽譜(クナは改訂版ですが、些事にすぎないかと)なのに。

モーツァルトに通じる、人間感情を超越したブルックナーを感じるか?単なる端正な音響と感じるか?

どうやらその答えは「楽譜」にはなさそうです。