>>807
>もし作曲家が理想通りに各楽器を演奏できて、演奏者がそれを聞いて再現でき
>れば楽譜などは無用。
>むしろ、その方が楽譜のあいまいさによる解釈の違いもなくなる。
>それが適わないから、仕方なく楽譜があるに過ぎない。

こういうのを、捏造あるいは歴史の恣意的解釈という。
これを日頃から止められない人が「あの人」だ。
過去まで自分の都合の良いように作り変えようとする。
これもあの病気に特徴的な一症状。

しかし、後世の人間が何と言おうと、過去の歴史は変えられない。
極めて不毛かつ欺瞞的な行為にすぎない。
20世紀以前の欧州の作曲家のほとんどが、現在知られる
ような楽譜の形で作品を残した。それにイチャモンつけても始まらない。
民俗音楽のように記譜されずに伝承される音楽でない限り、
録音がない時代の音楽作品の最大の情報源は楽譜だ。
先に録音によって音楽に触れ、
楽譜は余分なオマケ・付属物という本末転倒な発想・感覚は、
この1世紀半ほどの技術の進歩と、以前であれば宮廷音楽・芸術音楽に無縁
だった教養のない階層・一般大衆にもそれらが普及したことの結果。
クラシックの作曲家の多くが、既存の楽譜に「必要悪」ともいうべき
ネガティヴな認識を持っていた、という積極的証拠もない。
図形楽譜を創始したジョン・ケージ(1912〜1992)でも挙げるなら話は
別だが、いずれにしても彼は20世紀の人間だ。