即ち、

楽譜、楽譜と有難がっている音楽愛好家が多いようですが、あれは演奏する
ためのもの。聞くために必ずしも必要だろうか(もちろん、その曲に興味を
持って見たい場合は別)。

もし作曲家が理想通りに各楽器を演奏できて、演奏者がそれを聞いて再現でき
れば楽譜などは無用。
むしろ、その方が楽譜のあいまいさによる解釈の違いもなくなる。
それが適わないから、仕方なく楽譜があるに過ぎない。

楽譜も、厳密な記号体系から出来てはいないから、奏者、指揮者によって
演奏の違いが出てくる。
というより、厳密にしようとしたらとても書きつくせないだろう。
限りある表現法では、あいまいさが当然出てくる。

例えば、4分音符と言っても常に1小節の4分の1だけ時間をかけなくては
ならないのではなく、そのへんは実にあいまいである。
まあ、発音記号のようなもの。goodは発音記号ではグッドと発音するように
書かれているが、実際は、グー(ッ)ドである(グッドなどと発音するのは、
いたとしたら日本人だけであろう)。goodのウーはcoolのウーと音響学的には
同じだが、発音問題で、goodとcoolのooの発音を同じとしたら失点となる。
暗黙のうちに、goodのooはcoolのウーではなく、couldのウと同じとされて
いるのだ。
音符も、いちいちここの音符はこう演奏するようになどと書かず、音楽家の
その当時の環境内での常識的な感覚に任されているに過ぎない。
暗黙の了解に過ぎないのだ。
万が一、作曲家自身が指揮する場合でも、時と場合によってテンポが違う
こともあるだろう。
楽譜では歩くような速さでとなっていても、これから出撃する軍人相手の
場合と養老院入居者が相手の場合では違うかもしれないし、本人の気分に
よっても違って当たり前。