64さんは音楽のプロのようですね。その点ではH氏も私も確かに音楽は素人でしょうね。

この際お伺いしたいのですが、なぜ楽譜が同じなのに指揮者、奏者によりこうも違う「音楽」になるのでしょうか?
よく解釈とか言う言葉を聞きますが、私はその辺が不思議なんです。

「この人、モーツァルトが解ってるのかなー?」なんてことが度々あります。
変なポルタメントつけたり、だらしないレガートかけたり、音楽が死んでしまいます。

私は楽譜は読めませんからどなたかが言われたように「ある演奏」に出会い、その曲が好きになります。
しかし、やがて自分の中に「私ならここはもっとこー」という音楽が出来上がるんです。
K.488.2楽章、私の一番大切なモーツァルトのひとつですが、内田さんのCDに出会うまでは、すべて不満でした。
テイトのコーダ近くのピッチカートではない伴奏も私が予てから思っていた演奏でした。

いつか、悲愴2楽章を自分で弾きたいです。たぶんホロヴィッツのように。