組織的にみれば、作曲家と演奏者がいなければ、聴衆ていう階層は存在
できませんし、
歴史的にみれば、楽器の発達とか、録音再生技術の発展ぬきに、
音楽を語ることはできないわけですよね。
ですから、聴き専にしても、語ることにしても、
「技術の十字架」に架刑された、自己犠牲者じゃないかと思います。
この構図のなかで、内面の感興が、はたして救済たりうるかどうかは、
自分にはよくわかりません。
ちなみに、ぼくはただすきできいてるだけで、いわゆる評論家的な
おたくさんじゃないと思ってますけど・・。