ブラームス、ああブラームス。

シェアリー・メリーが「フランケンシュタイン」を書いたのは
1818年のことであるが、ブラームスが創造物のツギハギたる
大交響曲第一番を書いたのは、それから半世紀後のことである。

ブラ1は、クラヲタの、クラヲタによる、クラヲタのための名曲だよね。
「スコットランド」も主題労作には凝っているが、ブラ1の比ではない。
ブラ1の一楽章は、「スコットランド」と同じように序奏で主要な動機を
断片的に示し、続く6/8のアレグロな部分でそれを展開していくわけだが、
「スコットランド」では優雅に節度を保って疾走していくのに対して、
ブラ1では音楽の自然な流れを否定してまでも主題をこねくり回し、
スコアを読まなきゃ何を言ってるのだか理解できない。
それを聴く人に要求するのは、まさにオタクの態度。
終楽章にしても、キャッチーな歓喜の歌の主題を提示するのは
たった二回で、あとはフランケンシュタインの内蔵の継ぎ目を
見せるかのように内向的な音楽で埋め尽くされている。
一方で、「スコットランド」の単純明快な終楽章はどうだろう。
ヒロイズム、まさに叙情、まさに歓喜が明快に表現されている。

なんでブラームスはこんな曲を書いてしまったのか。
なんでブラームスはこんなに重厚になっちゃったのか。
なんでブラームスはこんなに複雑怪奇になっちゃったのか。
何がブラームスを追いつめたのか。
もう答えは出ていますね。