こういうクナや朝比奈への思いを、宇野さんは、もう本当にうまく、うまく、憎らしいくらい上手に書いている。
そして、あたかも天にも届けと言わんばかりに、高らかに、それはもう読んでいる方が恥ずかしくなってしまうくらい、クナや朝比奈に対する尊敬の念を歌い上げるのだ。
こういうところに私は彼の性格の、何というか、そう、「劇場的なもの」を感じる。
これに比べると黒田さんの場合は、ややもって回った印象がすると言うか、文章の量を使って色々と書き尽くしたつもりが、結局本当に書きたいことが不発気味に終わってしまったような、そんな残念な感じが漂うのである。
こういう書き方をする、私が宇野さんを手放しで絶賛しているように思われるかもしれないが、しかし実はそうではない。
例えば、カラヤンのような一級品の中の一級品を批評する際に、いつも「精神性の無さ」「外面の磨き上げ」といった紋切り型の全否定や、杓子定規な批判に終わってしまうというか、何かこう喰い足りないものを感じでしまうのだ。
ここまで書いて、私はふと考え込んでしまった。
一体なぜなのか。
宇野さんという批評家に、何か人間的に欠けている部分でもあるというのだろうか?



吉田秀和氏の文体って、こんな感じですね。