さて、本題。>>838でも書いたように短い文章の中で話がどんどん捻じ曲げら
れて<誤解が誤解を生んでいく>悲しさが言いたかったわけで、>>824の反応
がすでにそれを示している。>>823の<正直な人だw>がそれを増幅しているのだろう。
しかしその根源は、そもそも原文に存在している。
『――今回演奏なさるのは、1890年完成のいわゆる第2稿ですね。
こちら、第1稿を検討されたことはありますか?
スダーン:いや、一度も。』
これは、>>834でも述べたように<『検討』とは『演奏を検討』>を意味する
ことは明らかだ。校正の段階で舌足らずな点は補足されるべきだった。
たとえば『スダーン:いや、一度も(やりたいと思ったことはない)。』などと。
そういった観点からは
<もちろん第2稿で演奏するにあたっての「検討」の意味だよ>
も誤解であるように思う。高関ですら、彼のツイッターで第2稿を演奏する
にあたって第1稿を検討したと述べているように、現在では第2稿演奏の
細部チェックには第1稿は欠かせないものである。それは真摯にこの曲を
演奏しようとする指揮者にとっては必須のことであろう。ましてや、スダーン
のような経歴の持ち主が第2稿を演奏するにあたって、全集版で簡単に入手
できる第1稿を座右において検討しないはずがない。 

直接ブルックナーには関係はないが、今回のことによって、
ブルックナー個人についても、彼の作品についても
多くの誤解が彼への理解を妨げてきた歴史をすこしだけ再確認した思いがする。