外山のラプソディとか小山の木挽唄とか、あの手の曲は戦前戦中にたくさんある。
戦後みんなそれまでのことを忘れたふりをしたので、また同じことを繰り返したわけだ
(と俺は解釈してる)。

Naxosのシリーズは潰れたのかもしれないが、日本人の仕事はもっと多様なものの
蓄積があるわけで、その発掘と再評価をもっと進めるべき。

もしロシア人が「真にロシア独自の音楽とはイワン雷帝時代のものだ、いやタタールの軛
以前のものだ」などという議論ばかりしていたらチャイコフスキーもプロコフィエフも
生まれなかっただろうぜ…