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クラシック音楽をいろいろな演奏形態で聴いている人は浅くて広く聴いていて、
ピアノだけで聴いている人は深く聴いているという仮定ですね? でも、そうでしょうか?
ピアノという単独で演奏される楽器としては非常に優秀な楽器でクラシック音楽に
入った人が、そこに留まっていられるということが、何というんでしょうか、
そんな「禁欲的」なことができるのが、私には信じられません。

ご承知のように、ピアノという楽器は優秀だけれども、いくつかの致命的とも
言える欠点を持っています。
一つの音を叩いて音が鳴り始めると、それは時間とともに減衰していくしかない。
弦楽器、管楽器、声楽の全てが持っている一つの音をクレッシェンドして
ある種の情緒をかもし出すということがピアノにはできません。
単音ではなく、音の群れでクレッシェンドするしかない。
それから、現代ピアノは平均律ですから和音が必ずしも美しくない。
例えばハイドンの弦楽四重奏曲で、同族弦楽器が鳴らす純正律の和音の
美しさを一度知ったら、ピアノだけで満足することなどできないはずです。

ムソルグスキーの展覧会の絵のピアノ演奏は確かに魅力的ですが、だからと
言って、ラヴェル編曲のオケ版を一生聴かないまま死ぬとしたら残念ですね。
ペテロが三度イエスを否んだ後に聴かれるバッハのマタイ受難曲の慰めのアリア冒頭の
オーボエの悲しい響き。神々しいモーツァルトのクラリネット。
オーケストラで演奏されるベートーヴェンの交響曲。「運命」の凝縮と「英雄」の
雄大な広がり。ロマン主義の白眉とも言える「詩人の恋」、「最後の四つの歌」。

こうやって、あと百行だって書けると思うけれど、もうやめておきましょう。
こういうのも、やはり、深さより幅広さということになるんでしょうか?
何しろ、優秀なピアニストは、ポリーニにしろ、キーシンにしろ、
内田光子にしろ、いろいろな演奏形態の曲に親しんでいて、
ピアノ曲ばかりを鑑賞しているなんてことはないですよね。
ピアノしか聴いていないと彼らに言ったら、きっと目を丸くされると
思いますよ。