やっぱフルヴェンなんて、バックハウスに比べたら所詮小物。
バックハウスの解釈もフルトヴェングラーの解釈も
解釈のうちの一つにすぎないが、
楽曲の持つ力をどれだけ引き出しているかという観点では
ある程度普遍的な答えが存在する。

フルトヴェングラーとケンプの解釈は普通の意味で「劇的」すぎる。
内面性がもうひとつ足りない。
人間の意図の存在を消しきれていない。
バックハウスの解釈は完璧でなくても、ある程度完結している。
劇・ストーリー性、ロマン派的要素をとことん排除した。
このため、決して技巧的に優れていなくても
飽きることなくむしろ逆に、聞けば聞くほど理解は深まる。