モーツァルトといえばト短調…

私はその謎が知りたい。

いつかウェストミンスターが2階席最前列中央で聴いているかのようにオーケストラが総音で為るのに対して…
オートグラフはあたかも指揮台に立っているか1階前10列中央席で聴いているかのように鳴ると申し、「指揮台に立ったこともないくせに、楽譜も読めないくせに」と攻撃されたことがありました。

たしかに各ハートの旋律や位置が奥行を伴ってなり、それが空間で交わり、スピーカーが消え部屋全体が鳴るのですが…
音楽を音響的に聴くとそうなんですが、音楽自体(特にモーツァルトとクナのブル8の場合)を聴くと、それとは反対な聴き方になる。
つまり、モーツァルトはまるで谷を下る水のようにこれしかない!という流れになり、滝になったり、そこに虹が懸かったかて思えば激流にもとその自然な流れの中で千変万化する。
見上げれば、快晴の立山室堂から見上げた蒼から緑がかった透明な空に至純な透明感が心を満たす。
クナのブル8はと言えばまさに八ケ岳山麓を散策しているが如く眼前に頂きを仰ぎ見たり、足元に咲く花に目を止めたり、茜色に染まる夕映えの空に想いを馳せたり…という具合です。
音である音楽が心象風景やある心情を生み出す。絶対条件は『美』。

ある調性の和音だけでさえそういう事が起こる。

その謎を知りたいだけです。