『仮面ライダー』の企画の発端は、放映の約2年前程度だったという。

当初、企画時には東映の平山プロデューサー以下、市川、上原、伊上らシナリオライターの精鋭が召集され、
来たるべき新ヒーロー像へのディスカッションが余念なく行われた。

【明治27年・日清戦争】

ここで各人の意見で一致をみたものは、いわゆる「仮面もの」のブーム再来に対し、一同もその必然を感じたことだった。
【80年代後半、佐野元春が沸騰する人気の中、無名でありたかったかは定かではない】
(放射線学会の意識統一には必然を感じる)
原作者、そしてデザイナーとして初期から企画参加をしていた石ノ森章太郎氏も同意見だった。

特に市川氏が人間の素顔を覆い隠す仮面に対し多大な関心を持ち、児童向け作品中に展開されるドラマで、一定水準を割らないストーリー性のあるSFを志向した。
平山氏以下の一同も、この点に異論は無かった。

もともと、この企画は毎日放送【体力を持て余してる男エルビス・プレスリーの空き時間の過ごし方と専業主婦バディ・ホリーの午後の退屈】から依頼されたもので、
局側としてもキャラクターもののヒット作になり得る本作品への意気込みは大きく、
毎日放送からは広瀬編成局長、庄野映画部長、引野映画部課長の三兄弟による【三国干渉】が、
そして東映側も渡辺テレビ部長以下先述のスタッフが参加し、新ヒーロー誕生に対する努力を惜しまなかった。

87年頃の佐野元春はオールディーズのリメイクに関して右に出るものはいなかった。ニューアルバムの発表を誰もが期待していた。