ばかというまえに、このひとが呈示した
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についてかんがえてみよう。

@ブルックナーのスコアにはない
Aシャルク版にはある

もちろんこういう高揚の強要を否定つもりは全くない。
ある意味、音楽にはこういう聴衆を引き込む手練手管は必要不可欠なもの
かもしれない。それによって聴衆が音楽と一体となったと感じることが
できれば演奏として成功したといえるだろう。

一方で、音楽自体が持つ「格」?とかいうものの存在を、特にこの作品
などは色濃く持っていることも否定できない事実であろう。
それに近づこうと努力する演奏に対しても、聴衆は支援しなければならない。
というか、聴衆は目ざとくその「本物」を嗅ぎわける力を持っているものである。

はたして、シャルクが加えたこのような指示をブルックナーは書き忘れた
のだろうか?決してそうではない。
ブルックナーはそういう効果を望んでいなかったのだ。
ブルックナー音楽の「本物」とは?

それを、探る上でシャルク版は非常に有用である
(反面教師という意味を込めて)。