エフゲニー キーシンについて語るスレ その3
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0501名無しの笛の踊り
2009/07/01(水) 23:49:10ID:dYGjoblJはい、でもドイツ語を上手にたくさん訳した方(かた)ではなくて、
(I:、k:)で、ちょっとだけ下手に訳した方(ほう)です。
あと半分も全部訳すつもりだったのですが、ご飯を食べて、お酒を飲んだら、
やる気がなくなって、明日になったらもっとやる気がしないと思うので、
あまりキーシンの演奏自体に関係なさそうなところは省略して訳して
しまいます。
実は、同じ演奏会について、違う批評家が書いた演奏評もあって、それも
比較すると面白いので、そっちもできれば、近いうちに訳したいと思います。
(498の続き)
・・・・(プロコフィエフの)8番には目を見張る力強さを持ったパッセージが
たくさんある。しかし、その[・・な]音には奇妙に平衡を保った叙情性がある。
アンダンテ・ドルチェのオープニングをキーシンは厳しいモデラートで演奏した
のだが、その結果として、キーシンはここでの叙情性を柔らかというよりも、
もっとタフなものにした。ある抵抗する要素を通して、音楽は強く押されて
速い音楽が解き放たれる所まで到達する。そのアプローチはマンネリズムのリスクを
孕んでいるが、実際には、洞察力のあるものであった。キーシンはこう言っている
ように思われた。叙情性とは暴力に対する真の対抗勢力になり得るのだと。
プログラムの最初に置かれたプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」
組曲の演奏は目がくらむほどのものだった。後半に並べられたショパンは、うっとり
とさせるレガート・ラインが発揮される機会となった。エチュードの何曲かにおいては、
心配は普通と反対である。心配しなければならないのは、キーシンが難曲を弾いて
のけられるかではなくて、それらの作品がキーシンの最上のもの――彼が創り出せる
見事で、これまでになく新しくて、高い鮮明度を持った音色――を本当に引き出す
だけの難しさを十分に持っているかどうかである。・・・・
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