「交響曲は全楽章で1曲だ」…
それこそ「押しつけ」そのもの。
しかも、幼稚な発想にすぎない、と思える。

人を非難する時は、そこに具体例を挙げて、自分の主張を述べるのが基本。

そこで具体例。
私はブルックナーに「大好きな八ケ岳山麓を散策しているイメージ」を感じる。
そのためにブルックナーを時々聴く。

スウィトナー盤は全体を通してベートーヴェン的な「何かを目指して突進してゆく」流れを感じる。演奏自体は素晴らしいので処分せずに保有してるが、私の求める演奏ではない。

やはりクナが一番自分が求めるイメージを再現してくれる。
それとて3楽章は音楽が沈潜しすぎており、クナの3楽章はめったに聴かない。

シューリヒト盤は1.2.4楽章は、V.P.Oの音には魅かれるが、全体にせかせかしていて「散策」感に乏しい。
しかし、3楽章だけは30年前の清里から清泉寮へ到る小道(20年ほど前には俗化が完了してしまったが)を想わせる理想にちかい演奏。

全体を通して…など、ブルに限らず、モーツァルトのセレナードでさえ私にはありえない(一度聴いただけで二度と聴かない楽章すらある)。