ブルックナーが交響曲作家として認められるのには、膨大な時間が必要と
された。その理由としては彼の交響曲が当時の聴衆には難解であった事や、
その巨大なオーケストラ編成自体も上演時の現実的問題として起きていた
ことも容易に想像できる。だが、その一方ではブルックナー自身の人間性
にも問題がなくはなかった。とのかく、彼は名うての変人で有名で同時代
の人から、あの変人から立派で美しい音楽が生まれるはずがないとの
強い偏見があったのも事実である。
ブルックナーとほぼ同時代の作曲家マーラーはカリスマとして有名で、
崇拝されたり恐れられたに対し、ブルックナーはいつも失笑を買い、
馬鹿にされた。まず、彼ほど証明書にこだわった人間は珍しかった。
就職した先々で、「ブルックナーは勤務態度がまじめである」という
証明書の発行を懇願し、人々を当惑させた。信仰の厚い彼は授業中に
教会の鐘が鳴ると授業を中断しその方向にひざまずいてお祈りを始めた。
その昔、彼が女学校の教師を解雇された時には、この奇癖が生徒に
あまりにも評判が悪かったとも噂された。死刑囚に対しても異常な興味
を示し、その裁判をできるかぎり傍聴し、判決が確定すると彼はその
死刑囚のために一晩中お祈り捧げていた。また、彼は生涯独身であったが、
女性に対してはむしろ関心が高かった。演奏会で気に入った女性を見つける
とすぐ声をかけて住所を尋ね、教会の前を女性が通ると「お嬢さん、今、
私が作曲している交響曲ついて話てあげましょう。」と声をかけた。
50、60歳になっても10代の女性に真剣に求婚したが、女性たちは喜ぶどころ
か、薄気味悪く思うだけだった。世事にも非常にうとく、彼の本棚には聖書
以外、見るべき蔵書はなかったといわれる。
ブルックナーはこのような奇人であったのにもかかわらず、彼の手による
交響曲は、それまで誰もが書いたことのない独自な書法による、きわめて
壮大で重厚、神秘的なものであった。実際、彼のような変人から、このよう
な傑作交響曲が誕生した事は音楽史における最大の謎のひとつと言われてる。