毎日の書評には、
>蝶々夫人が単なる悲恋物語ではなく一挙に社会性を帯びてくるさまは
>スリリングでさえある。
とあって、いわゆる演出家の台本の読み替え(他者との差異)を指揮者が
演奏で表そうとすると、こんな風になるのかな。そういえば、演奏会形式で持論を披露した
んだっけ?
なんてことを思った。