俺は自分の好みとしてはベートーヴェンよりもハイドンやモーツァルトのほうが
はるかに好きで聴くことの多い人間だが、それでもやはり、特に交響曲に関しては
晩年のハイドンやモーツァルトの作品がしばしばベートーヴェンへの過渡期的作品に
聴こえることは否定しない。それって、101さんや106さんらに言わせると、邪道なことなのかな?
ベートーヴェン(やその他の後の作曲家たち)とのつながりを感じると述べたからといって、
前の時代の人をいやしめていることにはならないと思う。
つまり、ハイもモツも、精神的にはベト以降の領域まで踏み込んでいながら、
音楽の形の面ではぎりぎりのところで当時の慣習の中にとどまっている、
その微妙なバランス感覚がたまらなく魅力的なのだと思う。
ベトへのつながり云々という評論は、あくまでそのような魅力を説明するための
レトリックであって、それによっていたずらにベトを持ち上げ、
ハイやモツを軽視するための表現ではないはずだ。