大フィルのレパートリーが狭くなったのはもちろん事実だが、それを
朝比奈と比べて大植のせいにするのは間違いだろう。
要は意欲的なプロを組んでも今の関西では客がついて来ない、これに尽きる。
たとえば守山でも、初めの1,2年はまともなプロでやっていたが、客席がらがら
だった。まともなプロではホールが埋まらないから、仕方なく「運命」「新世界」で
お客さんを集めるしかないとなる。
オール貴志の曲の公演を企画してもチケットが全然売れないから、仕方なく
小中校生にばらまいて席埋め図らざるを得ない。
また、朝比奈の時代は、全く朝比奈の個人的な「つて」によって、当時は
まだ全部大阪に本社があった住友グループ各社などを中心に、大フィルに
対してというより朝比奈個人への応援という形で、運営補助金がかなり
潤沢に出ていたから、朝比奈はチケットの売れ具合などそれほど気にせず、
やりたい曲に思い切って取り組むことができた、という面も大きい。
ブルックナーに取り組み始めた当初からずっと聴いていたが、初めの頃は
レコード(当時はブルックナーのレコードもまだまだ非常に少なかったが)
で聴くのと余りにも違うしフェスの客席もがらがらだし、「こんな難曲を大フィルで
やっていく意味があるのか?」などと非常に不見識にも思ったものだった。
今に直せば、たとえば大植−大フィルでペンデレツキの交響曲をずっと
取り上げていきますというようなもので、今では絶対に実現不可能な
企画だ。当時はまだそういうことがやれる余裕があったから、その結果、
「朝比奈−大フィルのブルックナー」として一時代を画する大輪の花にまで
成長することができた。
大植−大フィルの今の時代とは全く比べものにもならないくらい、当時は
まだ関西全体に(もちろん経済を中心として)余裕と言うかゆとりと言うか、
そういう雰囲気が色濃く残っていた。