バックハウスが死んで、ドイツ音楽は終わった。まさに巨星墜ちて、暗闇が残された感じであった。
この人の道は、二重の意味でベートーヴェンの道であった。一つは一生ベートーヴェンばかり弾いていたという意味で。
もう一つは晩年になるほど高い境地に上がっていったという意味において。ケンプの老残はわれわれの目を覆わしめたが、
バックハウスは80歳にしていささかの衰えもみせず、その指は堅固なテクニックを誇っている。
しかも、その演奏の美しさは晩年にいたるほど冴え、最後には神秘的な美に包まれるようにさえなった。
彼の一生ほど、”この道一筋”であったものはない。若くしてベートーヴェンを弾きはじめ、一生の間ベートーヴェンを弾いていた。
彼はベートーヴェンと結婚し、一生涯裏切らなかった。不退転の生涯であった。
バックハウスをただの技術屋でショウマンだなどと思うのはおよそナンセンスである。かれにもしその気質があれば、もっと成功していただろう。
あの苦虫かみつぶしたような渋面はもっとにこやかになったであろう。彼のベートーヴェンは、あの顔のとおり、求道者のそれである。
彼はからい、実にからいベートーヴェンを弾く。およそ飾りのない、ぶっきらぼうで、ムキ出しの裸の音楽が、バックハウスの音楽である。
彼はその大きな手で、ベートーヴェンの精神をむんずと掴み、裸のままわれわれの前にぬっと突き出すのである。
われわれはこれほど朴訥なベートーヴェンを聴いたことはない。その意味でバックハウスは、演奏家でありながら、
ベートーヴェンと聴衆との間におのれが介在することを拒否してしまったようにみえる。
バックハウスは語らない。ただベートーヴェンを語らせるだけである。それがおのれの道だと、彼は85年間信じて疑わなかったもののようである。
その巨星も今は亡く、レコードがわずかに遺光を伝えるだけになってしまった。