クラシックの編曲とゲーム音楽モドキを同列に語るは牽強付会の誹りを免れない所であるが問題の根幹は偏に「目的」と「手段」が逆転している此界の現状にある

クラシックの名曲を演奏せんとする「目的」を第一とするならば当然レギュラー・オーケストラと謂う「手段」が選択されて然るべきである
然れど此界では元よりマンドリン・オーケストラによる演奏が至高の「目的」であるが故に本来「目的」であるべき名曲が「手段」と堕す
目的意識も曖昧なまま原曲に造詣の浅い編曲者が楽曲本来の意図を多く犠牲にしてマンドリン向けに翻案した迷曲に如何程の魂が残っていようか

邦人作品も敢えてマンドリン・オーケストラの為に書かれたと称す以上まずマンドリンの特性を最大限に発揮する「手段」であることが期待されるものである
然しながら日頃本格的な楽曲に親しまぬ耳にも馴染みやすく何となくカッコイイ曲を奏したい或いはそのような雰囲気だけの曲が売れるという「目的」物になってしまったが故
テレビゲームの如しと揶揄される軽薄で仰々しい楽曲が濫作され此界に蔓延する結果を生んだ