豚義理でごめんなさい。
生前のベームの偉大さは、リアルタイムで聴いていた人間にしかわからないような気がします。
ウィーンフィルは、特にかつての彼らはけして紳士の集まりではありませんでした。
それでもとにかくしつこくウィーンフィルと演り続けたこと、運とか政治とか何とかと思うかもしれませんが、けしてそうではなかったんです。
ベームだって、ウィーン楽壇の政治力学の犠牲になったこともありました。
ただ多くの指揮者やソリストがそうした音楽以外のきっかけから、ウィーンフィルを見放したり、見放されたりした、カラヤンですら彼らを見放した一方、ベームはこの素晴らしいが、人間臭くセコクくだらないオケを見放さず、また見放されもしなかった。
それは結局音楽性、それもカラヤンのスマートで合理的なそれの対極にある、泥臭く感情的なそれによったもののように思う。
同時代の人々からは、しばしば独善的で短気で怒りっぽい暴君の側面が語られているが、それでもかれらはこの年寄り(かなり若いころから見た目も爺さんだった)を愛したのだと思う。
今現在私は金聖響やアーノンクールなどの演奏も好きだし、合理的で学究的なアプローチも必要と思う。
しかし、それが全てではあるまい、文句を言わず黙って聴け的なベームのステージングを、今更懐かしく感じてもいる。