表面的な小ネタ、台本の様々な深読みは満載なので、それに目を奪われる演出ではある。
そして、そうした点からはとてもよく作りこまれている。
しかし、リングという作品全体としてのメッセージ、根本的なところでワーグナーが描こうとしているドラマは、全く伝わってこない演出でもある。
実演で観たゲッツ・フリードリッヒにしても、ビデオで観たシェローにしても、それぞれのやり方で、リングという一つのドラマの本質にしっかり踏み込んで表現しようとしていた。
様々な仕掛けの奥に、しっかりと作品の軸を掴んで表現しようという演出家の姿勢を感じた。
しかし、ヲーナーの演出は、仕掛けが単なる表面的な仕掛けにしかなっていない。
それなりに台本の深い読みから出ていると思える仕掛けもあるが、それがリング全体のドラマに有機的に繋がっているか、というとやはりNOだ。
シェローもフリードリッヒも、作品の中へしっかり踏み込んでいたが、ヲーナーは、作品の周りで踊っているだけだ。
ヲーナーの器用な小踊りを見たい人はどうぞ。
しかし、それならリングという作品の必要もないだろう。
個人的には、音楽のイメージを、あまりにも無視しているとしか思えない場面も多々あった。
ジークフリート三幕、黄昏二幕後半と葬送行進曲の二箇所だけは、音楽とも変な齟齬を起こさず、それなりに引き込まれるシーンだった。
黄昏の最後には心底がっかりした。

賞味期限のきわめて短い演出であることは間違いないと思う。
二年後、三年後、まだこれを見たいという人が、どれだけいることだろうか?

表面的なウケや解釈の目新しさの競争を離れて、新しく、新鮮かつ素直な目でこの作品に取り組める演出家の出現を!
ヴォータンがジークフリートを待望するような気持ちで望む。
自分が新国の監督だったら、誰か日本の有望な新人演出家に任せてみたい。