プリングスハイム先生は確かに凄かったが、振ったオケが悪かった。
新響なら良かったのに、当時の東京音楽学校オケは初心者同然の学生から
副科の教師(ピアノや声楽の教授が管楽器など)までが多すぎて、ほとんどカオス
だったそうな。
戦後の晩年に演奏の機会がなく、執筆活動だけだったのが惜しまれる。
(もちろんトーマス・マン譲りの名文だったが)
亡くなる1週間前に上野駅のホームでお見かけしたのが最後だった。