そっ!秀才なだけ。

天才は何をしたいのかハッキリしており、それを一貫した演奏を聴かせる。

諏訪内みたいな秀才は部分的に、ここはこうやってみよう、あそこはああやってみようと、迷いの痕跡が見えてしまう。
それが聴いてる者にとって痛ましく感じたり、厳しい人にとってはウザイと感じてしまうもの。
そういう努力の姿勢が好きだとか支持されるのは、国内で有り得る話だが、やはり世界では無理なのだろう。