ハイドンは、エステルハージ侯のもとで
優秀な楽員が揃ったオケがあったおかげで、
世間の評価を気にせずに作曲できる環境が整っていた。
だから、「告別」や「悲しみ」をはじめ
大胆な疾風怒濤期の交響曲を作曲できた。
もっとも、評判は直ちに全欧に広まり
パリやロンドンで演奏会を開くまでになった
(パリやロンドンの頃のハイドンはつまらない)

職業作曲家のはしりといえば、ヴァンハルを忘れてはいけない。
音楽教師から作曲家になった彼は
存命中は米国にまで評判が広まるなど
作曲だけで生計をたてることができたといわれる