「バイロイトの第九」はなぜ神格化されるのか?
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0087名無しの笛の踊り
2008/11/27(木) 20:00:26ID:y6PGsxFE●アレフレート・ベレグリーニ教授・演奏会評
「フレンキッシュ・プレッセ」1951年7月31日号
岡本稔氏翻訳
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作品を隅々まで知り尽くしたフルトヴェングラーの天才的、そして隅々まで考え抜かれた解釈は、
起伏に富んだ芸術的表現として実を結び、その輝きは一心不乱に傾聴する聴衆の心の奥底にまで
到達した。
合唱の導入の役割を果たすチェロとコントラバスのユニゾンの部分にも尋常でない緊張感が貫
かれた。ピアニッシモではじまり、次第に音量を増大しながらも流動性を保ち続けた繊細きわま
る序奏部の緊張は「歓喜に寄す」の合唱に至って一気に開放された。
(ソリストは)独唱、重唱の両面ですばらしい歌唱を聴かせた。4人はこの巨大な作品の最後
を完璧なかたちで飾った。このように輝かしい重唱、高貴に磨き抜かれた歌唱技術によって実現
を見た声の調和を聴くことができるのは希有である。
緊張をはらんだフェルマータ、終楽章の結尾の前に置かれた壮麗なフーガでは、フルトヴェン
グラーがもたらした未曾有の激情のほとばしりによって聴衆と演奏者はともに歓喜の渦に落とさ
れ、あたかも呼吸を止められんばかりであった。
「第9」の開始時から劇場は期待に満ち溢れた緊張が支配。この歓喜に満ち溢れた演奏では崇高
な作品の楽章が進むに従って観客全員の目の輝きからは力で抑制された感情の高揚が読み取れた。
それは熱狂を孕みながら最高潮に達し、沸騰点である演奏終了時に万雷の嵐のような拍手となって
解き放たれた。観客たちが自発的に音楽に没入することによって、演奏はあらゆる時代を通じて決
して忘れ得ぬ体験と化したのである。人々は歓喜と感謝の気持ちから涙を流し、それを恥じるもの
は誰もいなかった。
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http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bayreuth.html
これを信じるなら,フェルマータ問題はどうなるのかな。
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