本質的に言ってチェリビダッケの演奏には賛否などあまり意味がない。
かれは美音を好む人間ではなかったし、かれが追求したのは即物主義と言うより「音の擬人化」であった。
有無を言わせぬ音のもつ黙示録的な透過力の、ある超越的なものの媒介であろうとしただけだ。
それはたしかに破綻したものとして映るが、もし彼の音楽を、このライブのエネルギーを「破綻したもの」として否定するなら、その人間には、芸術を自己欺瞞のための術理としてオススメする。