175にあるような和声法や対位法の書法の習得ツールという側面は、あくまで
作曲理論分野の一科目としてであって、それも必要だが、もっと大きな地平で
見ると、それらが対象にしている時代の音楽の様式論に当然帰結すべきもの。
前に、個々の和音に調性感など宿っておらず、それはカデンツをも含めた単位で
初めて発生するということが述べられたが、まさにそれはその通りで、単に瞬間的な
音の縦や横の連結だけに留まる話だったら、作品についてはほとんど分析していないに等しい。
文脈に対しての思慮が、そういう一般的な和声法・対位法や音楽集合論の議論で
ほとんど欠けていると感じないか?

音楽集合論でも和声法でもいいが、それで分析して記号がついたとする。
響きなり何なりの分類ができた。その、分類する作業に多くの興味と時間を割いて、
その先にどうもあまり進んでいないのでは? つまり、それがどんな音楽的意味、
どんな音楽的効果、どんな音楽的役割をその作品の中で負っていて、それはなぜなのかと。
そこまでやって分析だろう。何か今までの話は分類で終わっている。

よく、学部くらいの分析の授業で「これはナポリの6の和音です」と教師が指摘するが、
それを指摘するのが単に知識の確認で終わるんだったら、これほどのナンセンスはないと思うが
それと同じことをただ繰り返しているだけなんじゃないか?