【実は作曲家】アルトゥール・シュナーベル
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001ebiguratant = uzanneo
2008/09/20(土) 21:34:11ID:abWtWZHUここはヨハネ・パウロ2世の家系ともゆかりのある町である。モラヴィアのリプニーク Lipni'k(ライプニック Leipnik)ではない。
幼い頃から「天才少年」として楽才を発揮し、ウィーンにて幾人かのピアノ教師に学んだ後、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のソリストとしてデビュー。
デビュー後に改めて名ピアノ教師として名高いレシェティツキに師事し、一時助手も務めた。
また、ブラームスからは「将来最も恐るべき天才」と絶賛された。
しかし、ウィーンの雰囲気にいまひとつ馴染めなかったか、後にベルリンに引越しをしている。
ベルリンでは後の夫人であるアルト歌手のテレーゼ・ベーアと出会い、彼女の伴奏ピアニストとして活躍することとなる。
1912年ごろからヴァイオリニストのカール・フレッシュなどと室内楽活動を行うようになり、室内楽のピアニストとして評価を高めていく。
また、1921年にはアメリカにデビューし、その頃からベルリンで教授に就任したりフルトヴェングラーらと共演を重ねる。
1927年にはベートーヴェンのピアノソナタの全曲演奏を7夜にわたって開催し、「ベートーヴェン弾き」としての名声を確立する。
1932年から1937年にかけて、世界で初めてのベートーヴェンのピアノソナタ全集とピアノ協奏曲全集(サージェント指揮)をレコーディング。
また、ベートーヴェンのピアノソナタの解釈を詳細に記載した楽譜編集でも有名で、シュナーベル版として世界中で愛用されている。
1933年からはナチの台頭によりスイスに移住。さらに1938年からはアメリカに本拠を移し、1944年にアメリカの市民権を取得した。
1946年3月3日、カーネギーホールでのロジンスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニック演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏中、
第3楽章の途中で曲を忘れてしまい、演奏をやり直した。
こういったアクシデントにもひるまず、第二次世界大戦後もアメリカとヨーロッパで演奏活動とレコーディング活動を続けたが、
1951年8月15日に亡くなった。
0002名無しの笛の踊り
2008/09/20(土) 21:52:43ID:Jy5jRhmL0003名無しの笛の踊り
2008/09/20(土) 21:58:22ID:24SjbYT20004名無しの笛の踊り
2008/09/21(日) 03:19:02ID:zgaX9tMA0005名無しの笛の踊り
2008/09/21(日) 09:26:33ID:dd2aZqsv>>4
無調の作品を書いているとか?
0006名無しの笛の踊り
2008/09/21(日) 21:43:49ID:M1v/ag+D「ワシが好きなのは、
一番は作曲、
二番目は教育、
三番目は演奏、
ずうっと下がってどん尻がレコード録音」
0007名無しの笛の踊り
2008/09/21(日) 21:53:45ID:uXC7kuu8ただ、録音が古すぎるのが、ざんねん。
0008名無しの笛の踊り
2008/10/01(水) 19:25:02ID:TqRXG1+H0009名無しの笛の踊り
2008/10/07(火) 07:06:34ID:YgD3BHUy0010名無しの笛の踊り
2008/10/07(火) 08:15:45ID:gD3UBuN00011名無しの笛の踊り
2008/10/07(火) 18:42:16ID:8KMlg0BA0013名無しの笛の踊り
2008/10/09(木) 19:00:50ID:j6sQrJXk■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています