ベートーヴェンはルネサンスを知らなかった。
ベルリオーズはピアノが弾けなかった。
ドビュッシーの和声は「間違いだらけ」だった。
ケージには和声感がなかった。

ベートーヴェンは和声と対位法を知っていた。バロックは知っていた。
そして楽式をさらに推し進めるメチエも持っていた。
ベルリオーズは和声を知っていた。
そして管弦楽法を当時のだれも追いつけないまでに推し進めるメチエを持っていた。
ドビュッシーの和声は間違いだらけ。
これは多くの人が誤解している。彼は和声を正しく理解して、そしてその先を見据えた。
和声も学んだしフューグも書いた。そしてローマ賞も受賞した。当時のローマ賞は保守の牙城で知られている。
ケージの和声感覚。これはシェーンベルクの言葉だけで実際彼がどうだったか私は知らない。
しかし彼はドビュッシー以降の作曲家。「崩壊」後の幾つかの新たな価値観はもうすでに用意された以降の人物。

そして2008年。終戦から60年以上過ぎ、次々に現れた技法や美学は「技能」ではなく
もはや「戦術」と化しているのではないか。

エクリチュールをやったからといって作曲家への道は保証されるわけではないだろう。
しかし、どうやって(一時期に限定されるとはいえ)「西洋音楽」を正格に理解するのだ?
歴史に横たわる変わらぬ価値観にかすめることも出来るかもしれないというのに。