「だいたい、ベートーヴェンの音楽自体、どうしてカラヤンや
アバドのような都会的に洗練された、スマートなものであり得ようか」と
ここまで断言する宇野氏の根拠に興味があります。ベートーヴェンの
楽譜を深く深く読み込んでいけば、こういう結果に導かれるのは
必然でしょうか。自分はベートーヴェンの交響曲全集をひとつだけ
選ぶとすると迷うことなくカラヤン/BPOの1960年代のものにします。
そしてそれを宇野氏は「耳が汚染され、感性がゆがめられてしまった
結果だ」と言い放つ。大きなお世話だと言いたい。