カラヤンは1933年4月8日、ザルツブルクにおいて当時オーストリアでは非合法政党だった
ナチスへの入党手続きをとった。ナチスの党員簿によると、最初の入党後カラヤンは行方
不明扱いとされ、最初の党員番号は抹消されており、同年5月1日にウルムで再入党している。
当時のことを後年「私にとってナチス党員になることは、スキークラブの会員になる程度の
感覚だった」と述懐している。戦後の非ナチ化審理の際、カラヤンは1935年、アーヘン市立
歌劇場のポスト就任と同時に入党と申告しているが、これは虚偽申告と断定せざるをえず、
なぜ非ナチ化委員会でカラヤンの申告が不問にされたかは謎に包まれている。