コテハンが結局いいたいのはカラヤンが全ての指揮者の頂点で、あとはどうでもいいということ。
あるいはカラヤンを支える裏方程度の存在にしか過ぎない。
二元論もできてない云々は確かにその通りだが、似非論的な流れはその目的のためだけに利用される。
だから、皆が不快感を感じるような「上から目線」の書き方となる。