こんにちは。「コテハン」です。
スレ上で以前に応援下さった方々、ご無沙汰しております。

アンチカラヤンの方々の中に、私の意見に耳を傾けて下さる方がおられたことは、
色々な批判を受けながらも書き込みを続けた甲斐があったと感慨深いところです。
多少とも参考になったならば是非カラヤンの演奏を聞き直していただきたいです。

繰り返し主張してきたことですが、

トスカニーニとフルトヴェングラーという、対極にある二大指揮者のスタイルを、
カラヤンは「厳格さ」と「夢想」と親しみを込めて呼び、その融合を目指しました。
(一部の専門家はこれを「作品主導主義」「演奏主導主義」と呼んでいるようです。)

さらにフルトヴェングラーとカラヤンという「先輩」「後輩」の間での確執には、
「演奏の一回性」と「録音の永続性」という新しいテーマが浮き彫りになりました。

その後、新たな対立軸がカラヤン(先輩)とアーノンクール(後輩)の間で発生し、
演奏の歴史に新たな視点が生まれます。既にこれらも「止揚」された感があります。

演奏の歴史も「革命」の連続であり、その時々で「英雄」の存在が不可欠なのです。
だからこそ、ある指揮者の演奏スタイルを「全肯定」も「全否定」も出来ないのです。

私は以上に挙げたすべての指揮者の演奏に感動出来ますし、素晴らしいとも感じます。
このような位置付けの中で、私は「カラヤン」を選んで聴いているわけなのですから、
「非建設的」(と私には思える)対立の構図には距離を置きたいと考えているのです。