指揮者の作曲は作品としてどうかってのはどうでもいいのであって、本人が創造から
再現までのプロセスを経験することが大事なんだよな。

カラヤンは卓越したピアノや読譜の能力にもかかわらず音楽院の卒業課題すら
提出できなかったというのだから、創造という点では絶望的に感性を欠いているのだ。
他人の書いた譜面から出発して行う音楽に何かが欠けることはないのか、
創造の源泉に立たない人間がベートーヴェンをよく演奏しうるのか、
そういったことが問われるべきなのだ。