>>419
たとえばあなたの手元にシェイクスピアの「マクベス」のテキストがあった。

ラジオでは(海外では)有名な声優がそれを朗読している録音が流れていた。
あなたはテキストに目を通していない。英語力もおぼつかないが聴いている。

「精神性」を感じるようなその朗読に感動したあなたはその録音を入手する。
あなたにとってそれは宝物。それしか聴いたことがないのにそれが世界最高。

その後あなたは機会があってイギリスに留学し英文学を専攻してものにする。
帰国後にその録音に耳を傾けて愕然とする。一体なんだこの「マクベス」は?

テキストを読み直してまたビックリ。今のあなたは古典英文学の知識もある。
フレーズのきり方も発音の仕方も、声優の(いつもの)独自のやり方だった。
あまりに勝手気ままな朗読で、それ以来その録音についてはお蔵入りとなる。

さらにしばらくして、あなたはラジオで「マクベス」の朗読を再び耳にする。
今度はやはり以前のあの声優と並ぶほど有名な声優だが退屈という人もいる。
あなたはその声優の朗読を聴くことを避けていた。「低俗」とさえ見ていた。

そして今日あなたは彼の朗読を聴きながら、留学して学んだ日々を思い返す。
「こっち先に聴いときゃ日本に帰ってこなくても向こうで仕事に就けたな。」