カラヤンが録音に非常に熱心であったことに異論のある人はいるまい。
カラヤンが、録音装置がまだ貧しい機能しか持たない時代から、
いかに美しく音が入るかを考えて演奏していた(録音していた)、
と考えるのは不自然なことではない。

カラヤンの美音が、「機械(物質)」を強く意識して作られたものだと考えれば、
そこに「精神」が欠けて聴こえるという評はあながち的外れではないと思う。

CDの収録時間のエピソードに限らず、カラヤンの存在が、
記録媒体の発達に大きく貢献し、それはまた、かつての貧乏楽士たちに、
大きな収入をもたらした。活躍の場が増え,皆の収入が上がっていくときに、
おおっぴらにカラヤンの音楽に反対する楽団員は少数派だろう。

かくてカラヤンの音楽には「精神性」が欠けていて、ビジネスの匂いが強すぎる、
という評がつきまとうことになる。それはそんなに外れていないのではないか。