私個人の立場は明確です。

「作曲家と同化して作品を解釈する」と明言する「名指揮者」達の演奏を聴くと、
指揮者個人の「解釈」で「作品」を塗りつぶされ歪曲されているように感じます。

「田園」や「第九」を聴きたいと思っても、ベートーヴェンが聴こえるどころか、
思い入れの強い「作曲家」風情の指揮者の自己顕示欲が演奏に反映されてしまい、
下品なものを見せられた、あるいは「贋物」をつかまされていると感じるのです。

「感動」や「喜び」とは「精神性」の一言でくくれるほど大雑把なのでしょうか?
作曲家が、偉大な音楽作品を通して私たち聴衆に投げかけるメッセージについて、
「混ぜ物」なしに提供されることが不可能にしても、エチケットはあるはずです。

自称「作曲家」が「混ぜ物」を増やすことが胡散臭く感じられる感性もあります。
天上におわします作曲家本人が、ガッカリしているように思えてならないのです。

「オレオレ」指揮者の演奏や解釈よりも、「作品」自体のメッセージを聴きたい。
「解釈」を押し付けないでほしい。私に必要なのは「詩人」ならぬ「職人」です。