トスカニーニ、フルトヴェングラー、カラヤン、バーンスタインは、いずれも「名指揮者」でしょう。
しかし、演奏(再現芸術)に対する取り組みの方向性、解釈は大いに異なっていたようです。

トスカニーニやカラヤンが、芸術的に演奏しつつも演奏する作品を客観視していたのに対し、
フルトヴェングラーやバーンスタインは、作曲家と同化して主観的に解釈しようとしました。

結果、前者と後者のいずれが作曲者の意図に沿っているかは、個々の作曲家の立場次第です。

R・シュトラウスやシベリウス、プッチーニ、ショスタコーヴィチらは前者を賞賛しました。
しかし、「作曲家と自分を同化して解釈する」立場が傲岸不遜であっても演奏が魅力的なら、
それを許容、あるいは賞賛する作曲家も決して少なくないだろうということは想像できます。

あなたがもし作曲家だったなら、自分の作品をどちらの方法で演奏してほしいと思いますか。